38年前を思い返せば、期待に胸ふくらませた希望に満ちた大雪でした。
社会人一年生は、いきなり白魔との闘いに胸躍らせたものです。
やる気満々も長続きしません。延々と続く渋滞に行く手を阻まれ、会社に着きません。
来る日も来る日も雪掻き。
そんな社会人人生のスタートでした。
入社前年の秋からアルバイトで出社していました。そしてその年の暮れ、56豪雪です。
大学の4年間は印刷、製版を専攻し、卒論のテーマは「新聞紙オフセット印刷における製版技術の一考察」でした。
まさか、カメラマンになるなんて思ってもいませんでした。もちろん、写真撮ったこともありません。
右も左も分からないまま始まった報道カメラマン人生でした。
ある大先輩に言われた一言、
「写真屋さんにはなるな。職人にもなるな」
当時、この意味が分からなかったのです。
そして、「写心」に辿り着きます。
「心で撮らないと、心に訴えられない」
そして、僕にとってのプロの流儀は、
「ブロはどんな劣悪な状況でも80点は取らなくてはいけない。そして、100点に近づけるために準備を怠らない人。アマチュアに圧倒的な差をつける人」
考えて考えて、何度も何度もロケハンを繰り返して撮影に臨みました。
きっと、大先輩の一言は、こういうことだったのだと思います。
「努力を怠るな」
20年ほど前、ある上司から、
「福田くんの写真は、今の業界で30年先をいってるな。報道写真を福井発で変えてくれないか」と。「そのために悪者になってくれ」。
「写心に技術はいらない」
部下や後輩たちに同じことを言い続けてきました。鬼軍曹と言われ続けてきました。
でも今、安心して一線を退くことができます。
後輩たちから頂きました。
二回の大手術、まだまだこれからも闘いが続くことを思ってのことでしょうか。
勿体無くて履けませんよ。
鬼軍曹だったのに。
ありがたいことです。
そして、本日、最後の取材をしてきました。和田八幡宮の夏越の大祓。茅の輪くぐり。
カメラマン人生の締めにしては、なんとまあ地味な感じですが、それもまたらしいのかなと。どんな小さい取材でも全力を尽くす。そんな38年でしたから。
取材中はそんなことわすれていて、取材が終わってから、「あー、終わったなあ」と。
スゥーっと肩の力が抜けました。
一線は退きますが、しばらくは写心を撮らせてもらいます。
気持ちは変わりません。
ここからどこまでモチベーション保つことができるか分かりません。
まだまだ進化できるはず。
そう思ってる自分がいます。
そう思えてるうちは大丈夫かなと。
38年のカメラマン人生に自信あります。
「間違っていない」
だから、自分を信じて、これからも撮り続けます。