遠い山並みに太陽が消えて、
深々としたオレンジ色の空に心を休める時、
遥か濃紺へのグラデーションを描く上空に、音もなく浮かぶ月が、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
一番星の宵の明星ビーナスが瞬く果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、
なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります。
これからのひと時。
写人が、あなたにお送りする写心の定期便。「maguroストリーム」。
皆様のお供を致しますカメラマンは、わたくし、福田正美です。
沈んでゆく夕日を見送るように第一の人生最後のルーティーンを楽しんでいると、黄昏る暇もなく雲一つない空があっという間に夕闇に。
まもなく夜の帳が落ちていきました。
あと2時間。人生59年が過ぎ去ろうとしています。
昭和34年6月14日午前5時30分、東京で産声を上げました。
生まれて間もなく、東京で映画制作をしていた亡き父が、福井初の民放テレビ局FBCのスチールカメラマンとして召集されて福井に。
そんな親父が撮ってくれたいっぱいの写心で振り返ってみます。
東京時代、生まれたばかりの頃。
母親曰く、おとなしい子であまり泣かない、手のかからない赤ちゃんだったらしいです。
だんだん、やんちゃになっていきました。まあ、現在の片鱗が見え始めた頃でしょうか。
昭和43年、1巡目福井国体開会式にて。
この頃は少年野球とソフトボールチーム
「順化」のホットコーナー(三塁手)、四番でした。もちろん、長島ファンでした。
お祭り男の片鱗が。地区の柴田神社の子ども神輿は大好きでしたね。
キャメラマンだった親父に、「プロマイドにするから」とポーズつけられてます。
コマーシャル写真のモデルはしょっちゅうやらされてました。
FBCはすでに節約モード?
ぢっちゃんと親父の愛車ブルーバードSSS
中学時代は陸上の明け暮れてました。
専門種目は100㍍ハードル。
県内では敵なしで、福井県代表として男子では唯一、東京・国立競技場の全国大会で決勝まで進み、横一線でゴールし、写真だ判定の結果6位。自分では優勝のつもりでしたけど。
あの時から、走り回るようになったんでしょうね。
そして、こんな大人になりましたとさ。
3回目の成人式を迎えて、いよいよ第二の人生のスタートです。
昭和、平成と走り抜けてきましたが、令和も間違いなく走っているでしょう。
何故なら、立ち止まったら死んでしまう鮪。止まるわけにはいかないのです。
沈む夕日との競走も、
相手が次第に星のまたたきと変わってゆきます。
お送りしました写心が、美しくあなたの心に
溶け込んでいきますように。
写人がお送りした写心の定期便、「maguroストリーム」。
お供をいたしましたカメラマンは、わたくし、福田正美でした。
6月13日 5.12キロ 96.67キロ
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